「筑紫路に はこびる草をなぎ払い 熊襲の頭 討たでやむべき」

人皇十二代景行天皇の御代、九州筑紫一円に強大な勢力を持って朝廷に背く熊襲の頭、川上梟師(たける)征伐を命じられた天皇の第二の皇子、日本童男命(やまとおぐなのみこと)が竹内大臣、弟彦を伴って九州へと向かう。時あたかも川上梟師の館では新築祝いの宴が催されていた。命は旅の女に装してその宴に紛れ込み、川上梟師に近付き、彼に酒を勧めながら時を待っていた。宴も佳境に入った時、命は忍ばせていた刀を取り出して激戦の末、川上梟師を討ち伏せるという物語である。川上梟師は「西国において、我より強い者はないと信じていたが、命こそは日本一の武勇者だ、これからはわが名を一字かたどり日本武尊と名乗り、これなる倭の国を永く守り給えや」と言い残して絶命した。命はこれを承諾してその名を「日本武尊」と改めた。